海が奏でるカノン(追復曲/輪唱)から私たちは何が学べるか
Les Deux Crépuscules
Photo : 茨城 日立駅構内から見る朝日 / koichi / Adobe Stock
Posted by local knowledge on October 17th, 2025
仮に富士山の体積(約1,400Km³ですが、まあこの数字はどうでもいいです)全体が写真市場だとすると、おそらく5号目あたりまでが「(素人による)記念・記録写真」、5号目から9号目までが「集合写真」、そして9号目から頂上までが「写真家(Photographer)による作品群」という分布になるはずです。ここで重要なのは厳密な分類やその比率ではなく、「集合写真」や「プロによる作品群」は「記念・記録写真」という広大な裾野の存在を前提にしているので、この「記念・記録写真」という裾野の拡大が、最終的には「集合写真」や「プロによる写真」のマーケットを育てることになる、ということですね。
但し「記念・記録写真」の大半は、おそらくスマートフォンのカメラで撮影したもの、インスタグラム、LINEなどを利用したものが大半のはずですから、個人間(だけ)で流通すれば十分な「コミュニケーション」のマーケットなので、写真集のようなメディアにはなり得ません。一方、写真撮影を生業とするプロの写真家の方にとっても「写真集」の発行は極めてハードルが高く、一冊の写真集を出すということが目標になってしまっている、という現状は是正されるべきでしょう。
写真集がなかなかビジネスにならない、気軽に写真家が発行できない理由は割と明確でして、1)(通常の出版物とは異なる)アート作品であることを意識した製本や印刷が施されるので、高額になり、一般の人が手に取りにくい。2)判型がバラバラなので書店の棚で売りにくく自宅での保管も面倒。3)写真集なるものは「グラビアアイドル写真集、ペットの写真集、美しい風景の写真集」が流通するものの大半になっていて、それ以外の写真集が(書店で)大きな棚を(前述の理由で)確保しにくい。4)「それ以外の写真集」の使い方が(読者には)よくわからず、かつ作るほうも当該の写真集の使い方を丁寧に説明していない。5)「写真集」が「写真そのものの価値」にこだわり過ぎている(テキストによる解説を頑なに拒否する写真集が多いのは個人的に不思議)。6)専門誌や(MOOKを含む)雑誌で「写真」は十分に活躍しているので、あえて「写真集」と銘打つ必要がない(写真家にとってはそれなりに仕事が発生している)。
特に個人的に強調したいのは理由の4)ですね。このあたりは今後の「写真集の夜」で飯沢耕太郎さんに色々聞いてみたいな、と思っていますが、来週の「写真集の夜」に登場する鵜川真由子さんでさえ、今まで発行した写真集は今回ご紹介する『海辺のカノン』を含めわずかに2冊、しかも1冊目の「WONDERLAUND」が私家版、というのは実にもったいない、と思います。
SNSが跳梁跋扈する時代における(紙の)写真集なるものを実は私たちは過去に経験していません。これ、間違いなく面白くなるに決まってるんです。普通の写真家が年に1冊写真集を2.000円を切る価格で発刊し、初刷で1万部程度は確定させることができるような世界は「記念・記録写真」の広がりを見ていると、そう遠くない将来にやってくるはず、と確信しています(個人的に一番興味があるのは実はその下に位置付けられる「集合写真」の市場なのですが、これはまた別の機会に)。
まずは11月7日の「写真集の夜」を覗いてみてください。
https://www.localknowledge.jp/2025/10/2085/
ニュースレターのバックナンバーはこちらからご覧いただけます。
最新のコラムはニュースレターでお送りしています。お申し込みは下記から
ニューズレター登録はこちら

