道具は使い込むほどその存在感を希薄にする
Posted by local knowledge on July 1st, 2022
道具は使い込むほどその存在感を希薄にしていきます。ベテランの大工さんが「よし、今日もこのノコギリをうまく使い倒すぞ」と意気込むことはないし、「さて今日はこの包丁をどうやって使おうか」と考える料理人もいないでしょう。ここでは道具が見事に身体化されているわけですね。自分の体と道具がシームレスにつながっていて、もはや区別がつかない状態になっている。このように私たちの人生にはいく先々で、必要な道具が用意されていて(これは仏教用語としての“道具”の語源です)それをカラダに馴染ませつつ生き延びようとするわけです(この辺りの話は故・栄久庵憲司氏の『道具論』が猛烈に面白いです)。実は図書館も調べ物をするための道具のはずなんですが、私自身は(社会人になってからは特に、ですが)ほとんど図書館なる施設を利用した記憶がありません。借りた本を返すのが面倒で使わなくなったのです。使いにくい道具はその存在感が強烈で、行く手を阻もうとする壁のように自分の前に立ちはだかります。
来図書館も、地元住民にとって「道具化」されているかどうかが重要なのだと思います。図書館という施設それ自体を持続可能な状態にキープしておくことにあまり意味はなく、むしろ地元の人たちからその存在感を希薄にするくらい使い倒されていれば(道具として)生き残れると思うのです。さらに付け加えるとすれば、道具は手段に過ぎず、その道具で実現したい価値が重要なわけで、それはやはり「そこそこ(地元、あるいは自分に)カネが回るようになる」がゴールでしょう。「住民の学習意欲が高まる」とか「知的レベルが向上した」とかそういうのはどうでもいいです。やっぱりみんなで儲けないとね。大工さんが休憩時間にちょいと立ち寄って、適当な資料を(キュレータに)推薦していただき、必要なページだけを開き「お、なるほど。わかった」と言いながら、そそくさと図書館を後にする、その間わずか15分程度、というような使い方が理想じゃないですかね。
ローカルナレッジ 発行人:竹田茂
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