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本とは背表紙のことである

Posted by local knowledge on May 12th, 2023

近年はGW(ゴールデンウイーク)こそ大掃除、と決めています。年末の寒い時期に比べ、風が心地よいし、汚れも落ちやすく、渋滞や混雑とも無縁です。15分くらい全力で掃除したら、作業を中断してゴロっと横になって読書、を繰り返します。この掃除→読書を(陸上トレーニングの)インターバルのように繰り返すと妙な充実感がありますよ。ゴミのクリーンアップ(掃除)と新しい知恵の投入が、アタマの中を整理整頓したように感じるのかもしれません。

皆さんの中にも「掃除はしないけど読書三昧で過ごした」という方も多いと思いますが、巷には「この本を読め」という情報が氾濫していて、どれもそれなりに面白そうではあるのですが、言うまでもなく、それらすべてに付き合う時間はないわけですから、信頼のおける選者や好きな著者のものを選んでおけばとりあえずは無難、ということになりますが、一番信用できるのは実は「自分自身の置かれた状況」ですね。専門書であれビジネス書であれ、あるいは小説であれ、自分が今一番必要としているものを選ぶことが肝要です。それは第三者には当然わかりませんし、そこには売る側の状況が立ち入る余地もありません。

書店における面陳列は書店の都合、平積みは版元(出版社)の都合があからさまに演出されたキャンペーンのコーナー、つまり彼らの自己都合がずらっと並んでいるに過ぎません。言うまでもなくあなたの状況を斟酌してくれているわけでもありません。特に、平積みされている書籍は過去のテーマの焼き直しが「新刊」になっているだけ、ということが多いので(私くらいの年齢になると)完全に無視しても問題ないことが多いですね。一方、ネット書店における「オススメの書籍」の表示には協調フィルタリング(Collaborative Filtering:多くのユーザーの購入履歴DBから購入すべき書籍を推論する)というアルゴリズムが使われていることが多く、結果として「似たような本」をたくさん買わされるハメになる、加えて“意外な出会い”がほとんどない、という致命的な弱点があります。

このような時に、一番信用できるのは、同じ書店でも面陳列や平積みではなく、棚差しになっている書籍の品揃え、あるいは図書館、そして自分の状況ですね。新刊を売らざるを得ない自己都合が平積みだとしたら、本好きとしての店員さんの魂は棚差しにあるはずです。「新刊の時はさほど売れなかったけど、この本、読んで欲しいんだよね」という書店員の想いがそこに陳列されています。長く読み継がれてほしい本が多いはずなので、いわゆる定番とか名著と言われているものもそこに含まれているでしょう。私たちが「何か読みたいな」ということで書店に足を踏み入れた時は、なるべくその「棚差し」をじっくりと観察することをお勧めします。最低でも30分くらいは棚を眺めつつ店内を回遊してください。そうするとあら不思議、あなたが必要とする書籍が書籍のほうから語りかけてきます。あなたが読むべき書籍はまさにそれ、なのですね。

この時、私たちは書籍の“背表紙”しか見ていません。書籍デザインで最も重要なのは適度な厚みと背表紙です。「本って壁(かべ)になりたがっているのよ」は、 株式会社ボイジャーの鎌田純子さんの名セリフ(2人で打ち合わせしている時に彼女が何気なく呟いた言葉)なのですが、本はいつまでもその背表紙を眺めてもらえる状態、すなわち本棚にセットされ、背表紙が良く見え、壁として張り付いているようになれれば本望、なのですね。これは書店の棚に限らず、自宅の本棚でも同様であることは言うまでもありません。背表紙に印刷されている書籍タイトルはある種の“問題提起”のはずですから、その問題が陳腐化せず、かつ繰り返し参照したいものだとすれば、その書籍はずっと“壁”として私たちを見守ってくれることになります。この一覧性は「大型ディスプレイ+電子書籍」では絶対に太刀打ちできません。狭い四畳半の部屋でも一つの壁を全て本棚にしてしまえば、スイッチや電源不要の巨大な“ディスプレイ”が登場することになります(余談ですが、自宅の本棚を眺めている時に「いやあ上手な(背表紙の)デザインだなあ」と掛け値無しに実感するのは講談社学術文庫ですね。「文庫サイズの背表紙」という極めて矮小な面積で自己主張と差別化を図りつつ(書籍の)タイトルの視認性も高い。誰がデザインしたものか存じ上げませんが、プロの仕事だなあと思います)。

結局、「本棚」が書店・図書館・自宅を問わずアテンション(attention)を励起状態においておくための最高の手段なのです。電源やスイッチを必要とするものは「本当の本棚」にはなり得ません。建物は立派だけど本棚(という一種の家具)の配置がユーザー目線にない図書館などは最低ですね。「活用」を前提としない「保存」に意味はありません。それが仮に貴重な文化財だったとしても「触ってはいけない」はナンセンスだと思いますしね。先日盗難騒動があった「びんずる尊者像」などは理想的な文化財の在り方だと思います(いかん。話が逸れそうなので元に戻します)。個人的には、渋谷再開発とともに消えてしまった紀伊國屋書店渋谷南口店が一番好きだったのですが、現在は青山ブックセンター本店が一番私の肌に合っている書店です。そうです「肌合い」が重要なのです。例えば同じ紀伊國屋書店でも武蔵小杉店は「小さな子供を抱えた近所に住む主婦」に寄り添っている雰囲気が伝わりますし、二子玉川店は「孫に絵本を買ってやろうとするおじいさん・おばあさん」が使いやすくなっているように思います。つまり「歩いていけるところにある地域住民の事情」のようなものを肌で感じてくれている書店か否かが重要なのでしょう。

ローカルナレッジ 発行人:竹田茂

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