newsletter

能弁なLLMは沈黙(sound of silence)にかなわない

Posted by local knowledge on April 7th, 2023

島薗先生が主宰する勉強会にはいつも独特の味わい深い時間が流れます。これは司会(MC)の小島あゆみさんの力量に依るところも大きいのですが、先日の中山ヒサ子さん(特定非営利活動法人 和・ハーモニー音楽療法研究会理事長)をお招きしての講義では、いつも以上に少し不思議な時間を体験することができました。というのも、中山さんはイベント当日に、事前に収録されたご自身のプレゼンテーション動画をご自身も聴衆の一人として聴くという、少々手の込んだ手法を展開されたからです(開催当日1週間前に動画ファイルを受け取った時は「当日は都合がつかなくなったのだな」と誤解していました)。

ご自身がスライドを解説している動画を、当のご本人も他の聴衆と一緒に聴く、などという面倒な手法を採用した本当の理由をご本人に確認したわけではありませんが、これは間(ま)の大切さを伝えたかったのではないかと推察しました。リアルタイムでスライドを操作しながらその説明を行う、というありふれたプレゼンテーションはどうしても早口になりがちで、予想以上にスピーディに展開してしまうことが多いのですが、ご自身が落ち着いた環境で事前に収録されたその動画には実にゆったりとした時間が流れています。ラジオの「朗読の時間」がそうであるように、発話していない時間がとてつもなく長く感じるのですね。無論、きちんと計測したわけではありませんが、1分間に300文字くらいのゆったりしたスピードで発話し、次の発話に移るまで5秒くらいの沈黙があります。この“5秒”がなんとも味わい深いのです。世間(せけん)、間に合った(まにあった)、間抜け(まぬけ)というように、間(あいだ)を構築することに敏感なのは日本人の特性なのかもしれません(注1)。

私が話題提供者だったらおそらく「あ。ここではこんなこと言ってるけど、実は」というメタ解説を始めてしまうはずですが、中山さんがすごいのは「全く一言も付け加えず、静かに自分自身の声に耳を傾けているところ」なのですが、それ以上に印象的だったのは「5秒程度の沈黙の間(あいだ)に流れる密度の濃い空気感」です。言うまでもなく、別れ話で気まずい雰囲気になっている時の重苦しい沈黙とは全く異質のものです。言葉の意味を咀嚼し、深く考える時間を提供していただいたように思うのです。まさに沈黙の音(sound of silence)です。

出版物でいうと詩集がまさにこの沈黙の音を具現化しています。中学生くらいの時に初めて“詩集”なるものを手にした時の最初の感想は「なんたる紙の無駄使い」というものでしたが、あの一見無駄に思えるホワイトスペースには可視化されていない言葉が充満しています。何もないところに実はたくさんの作者の想いが詰まっていると同時に、読者は自在に自分の想いをそこに展開することもできます。中山ヒサ子さんが提供してくれた「沈黙の時間」にはまさにこれと同様の価値があったのです。

この沈黙の豊かさとは真逆のトレンドがいわゆる大規模言語モデル(LLM:Large Language Models)でしょう。対話形式の自然言語処理といえば、私のような古い人間はMITのワイゼンバウム(Joseph Weizenbaum)が1964年に発表したELIZA(イライザ)を思い出します。これは実に素朴な自然言語処理プログラムで、ある特定の状況(e.g. 患者と医師の対話、など)をシミュレートしたスクリプトで応答しているだけなのですが、あたかも人が応対しているように感じることで話題になりつつも、感情に乏しい反応しかできないことで「人工無脳」のレッテルを貼られてしまった代物です。しかしこれは現在話題沸騰中のChatGPT(あるいはその後継)に代表される大規模言語モデルの嚆矢と言えないこともないでしょう。

ここで、私たち日本人が注意したほうがいいと思うのは、日本国内と海外ではイメージしている“大規模(Large Language )”のスケールが三桁くらい違う、ということです。例えて言えば、日本人がイメージできる“大規模”は「図書館の蔵書全てをLLMに格納」というレベルでしょう。ところが海外でイメージしている“大規模”は「Youtube上の動画を全てテキスト化してChatGPTに食わせる」レベルのはずです。全世界の会話データをテキスト化して、超巨大なクラウドでぶん回せば何か面白いことが起きそうだ、「意識」だって創出できるはずだ、それこそがシンギュラリティ(Singularity:技術的特異点)なのだ、というセミナーを先日実施したばかりではあるのですが、LLMが創出するのは、おそらく人類に共通の欲望の集大成になるはずで、つまるところ「食欲・性欲・物欲」を満たしたい、という身もふたもないメッセージに成り下がる可能性が高いような気がします。

つまり、LLMの最終解は、すでに私たちが経験済みの「欲望に直結したインターネット広告やスパムメール」が充満するだけの情報空間と大差ないものになるはずです。規模が大きくなるほど人間の根源的な欲望に忠実になるということと、現在のLLMの“進化”はアルゴリズム上の競争を終え、単なるハードウエア性能(e.g.クラウド)の優位性を競う場、つまりGAFAの延命策に成り下がっているので、日本人としては日本語と日本人だけを対象にした(=輸出可能な財にはなり得ないことを意味します)閉じた系で「欲望の集大成」とは違うことができる可能性があるかどうかを検討するしかないでしょうね。時間と資源の無駄遣いとしか思えない論理的あるいは非論理的な言論が跳梁跋扈するLLMは、中山ヒサ子さんが提供してくれる沈黙の時間には全く歯が立たないのです。

(注1)間(ま)を深く研究しようとして書籍を探すとどうしても武道関連のものに行きがちです。それも悪くはないのですが、まずは『あいだ』(木村敏 著、ちくま学芸文庫、2005)にトライしてください。200頁程度の薄い文庫本ですが、かなり手強いので3回くらい精読されることをお勧めします。

ローカルナレッジ 発行人:竹田茂

最新コラムはニュースレターでお送りしています。お申し込みは下記から

ニューズレター登録はこちら