「本を持つボク」 1949年頃

写真集の夜
飯沢耕太郎オンライン・フォトブック・ギャラリー
第11回 『植田正治 写真するボク(別冊太陽)』を手がかりに、植田正治作品の未来を語り合う

「本を持つボク」 1949年頃

Posted by local knowledge on March 18th, 2026

2025年7月刊行の『別冊太陽―日本のこころ』は、山陰の誇る世界的写真家・植田正治の生涯を辿るものでした。写真評論家・飯沢耕太郎さんも「植田正治―写真集の世界」という小特集を担当されています。

日本の写真家たちにとって、写真集は自作を発表する場として特別な意味を持っているのではないだろうか。(中略)
植田正治も例外ではない。写真集を制作することを目標として写真を選び、デザイナーやアートディレクターとの共同作業を通じて、写真集を丁寧にまとめていった。

(p.135)

山陰のアマチュア写真家を自称し続けた植田正治は、生涯生まれ故郷の鳥取県西部、境港から離れることがありませんでした。写真集『童暦(わらべごよみ)』(1971)が注目され、数多の写真集出版とともに次第にその名が世界へ広がっていっても、その題材は、家族や近所の人々、生家近くの弓ヶ浜、「水の都」松江、そして鳥取砂丘と、ずっと山陰の人や風景が中心のままでした。

亡くなる少し前には建築家・高松伸の設計による「植田正治写真美術館」が鳥取県岸本町(現・伯耆町)に開館、没後も写真集や関連書籍の出版は続いています。飯沢さんも2016年刊行の『植田正治作品集』(河出書房新社)を共同で編集・構成されています。

……彼の仕事の再評価の機運が、むしろ近年になってさらに高まりつつあることがわかる。

(p.135)

「写真集の夜」第11回は、植田正治のお孫さんで植田正治事務所代表の増谷寛さんをゲストにお迎えし、『植田正治 写真するボク(別冊太陽)』を手がかりにその作品を振り返りながら、山陰という地域に密着した植田正治の大きな遺産を未来と世界に向けてどのように発展させていくべきか、その可能性についてディスカッションしていきます。ぜひご参加ください。

(飯沢さんコメント)
植田正治の評価は2000年の没後にむしろ高まってきました。ヨーロッパ各国を巡回した回顧展をきっかけに、国際的にも大きな反響を呼び、国内でも多くの美術館、ギャラリーで展覧会が開催されるとともに、若い世代の支持も集めています。日本人離れした、親密さとスケールの大きさを併せ持つ、植田正治の写真世界の魅力を、お孫さんで植田正治写真事務所を主宰する増谷寛さんとオンライントークで語り合います。ぜひご視聴ください。

開催概要

名称写真集の夜
飯沢耕太郎オンライン・フォトブック・ギャラリー
第11回 『植田正治 写真するボク(別冊太陽)』を手がかりに
開催日時2026年3月27日 (金) 22:00~23:00
※見逃し配信は行いません。後日、アーカイブ動画を有料で販売する予定です。
ゲスト増谷寛 (植田正治写真事務所)
案内人飯沢耕太郎 (写真評論家)
イベント形態Zoomウェビナー(Webinar)を利用したライブ配信です。
※お申込みいただいた方には参加URLを事前にメールにてお送りします。
参加料無料
参加方法このウェビナー(Webinar)を申し込む
購入期限チケットの申込期限は当日3月27日の21:00までとさせていただきます。
主催スタイル株式会社
※プログラムの内容・時間などは予告なく変更となる可能性があります。ご了承ください。

今夜の写真集

『植田正治 写真するボク(別冊太陽)』

『植田正治 写真するボク(別冊太陽)』

発行:平凡社

発売日:2025年7月24日

2,860円(税込み)

飯沢耕太郎(いいざわ・こうたろう)
飯沢耕太郎(いいざわ・こうたろう)

写真評論家。詩人。1954年、宮城県生まれ。1977年、日本大学芸術学部写真学科卒業。1984年、筑波大学大学院芸術学研究科博士課程修了。主な著書に『写真美術館へようこそ』(講談社現代新書1996)、『私写真論』(筑摩書房2000)、『デジグラフィ』(中央公論新社 2004)、『きのこ文学大全』(平凡社新書2008)、『写真的思考』(河出ブックス 2009)、『キーワードで読む現代日本写真』(フィルムアート社、2017)、『African Sketchbook』(Purple、2025)、『猫島からの帰還』(ふげん社、2025)などがある。
(撮影:うつゆみこ)

増谷寛(ますたに・ゆたか)
増谷寛(ますたに・ゆたか)

1967年12月鳥取県境港にて生まれる(和子の里帰り出産)。
その後東京で育つも長期となる夏休み、春休み等は母・和子の実家である植田正治の生家で暮らす。また、東京の自宅へは毎月審査等の仕事で上京する植田正治の宿となるため、姉・薫子(故人)と共に幼少より多くの時間を植田正治と過ごした。また、学生時代アートディレクターとして植田正治と多くの仕事を成した植田充(植田正治の次男)に運転手やデザイン事務所の手伝い、食事の共に駆り出されるなどして、裏話を聞かせられた。
植田正治晩年に植田充のデザイン事務所(アートインターリレイションズ)内に設けられていた「植田正治事務所」(2003年に分離独立 初代社長 仲田薫子 )の現代表を務める。