ニューズレター

労働の価値は時間換算不能

Posted by local knowledge on August 5th, 2022

ワーク(仕事)とライフ(生活)はバランスしません。ワークはライフの部分集合、すなわちライフという大きな集合の一部として存在します。従って「ワークライフ・バランス」は言葉自体がナンセンスです。これは「シュウマイ」と「シュウマイ弁当」をバランスさせましょうと主張していることに等しく、原理的にバランスするわけがありません。そして私たちにとって大切なのは単品のシュウマイではなくシュウマイ弁当なのであります。ついでに言えばシュウマイ弁当(正式名称は「シウマイ弁当」)は崎陽軒に限るのであります。余談です。

ドライブしている時に新しいビジネスアイデアが浮かんだり、会議の最中にその日の晩飯に想いを馳せたりするように、仕事と生活は渾然一体となっているのが普通です。それを時間(あるいは時刻)という単位で区切るのは所詮無理があります。最低時給単価に関する議論で世の中は盛り上がっているようですが、「労働価値は時間に換算できる」ことが論拠になっているようでして、これが根本的に間違っているのです。あるテレビの討論番組でそれなりの“有識者”の方々がこの最低賃金の算定根拠について侃侃諤諤の議論をしていましたが、誰一人として「労働価値は時間換算できない」と主張する人がいなかったのに驚きました(番組として成立しなくなるからでしょうけど)。優秀なプログラマほど仕事が早いことをご存じないのでしょうか。

加えて労働価値に「才能」とか「能力」のような抽象度の高い概念を持ち込んではいけません。抽象度の高い概念を変数にしてきっちりした数字(=最低時給単価)が算出できるはずはないからです。また、労働生産性が高ければ賃金は上がるという議論がありますが、これもデタラメです。そもそも労働生産性の算出式には時間(t)という変数は存在しません。これを向上させたい場合は労働者をクビにするのが手っ取り早い。というわけで話を直結させると、最低時給単価は雇用の関数らしい、ということがわかります。労働(雇用)需要が高まれば給料は上がることは感覚的にご理解いただけるはずです。ところが日本の経営者は「猫の手も借りたくなるほど忙しくなる」ようなビジネスモデルを構築することに失敗している人が大多数でしょう(私もその一人ですが)。労働生産性という言葉は、あたかも労働者が主役のように聞こえる言葉ですが、あれは経営者自身に突きつけられた通信簿なのです。

機械化・自動化・AI化が進むと、労働自体は限りなく「論理的な作業の繰り返し」に近づいていきます。これはヒトの「才能」や「能力」が介在する機会(opportunity)がどんどん減少していくことを意味します。その時にヒトができることはたった一つ「想いの注入」であります。いわゆる感情労働ですね。「この人が喜ぶ顔が見たい」とか「美味しいものを食べていただきたい」というような想いに限らず「とにかく空飛ぶ自動車を作りたい」という想いも(一種の)感情労働でしょう。

つまるところ「好きこそものの上手なれ」、つまり、あまり面倒なことを考えず、自分の中から湧き出てくる感情に対して素直に行動することが、結果的に私たち自身の労働価値になるはずで、最終的にはそれなりのフィー(報酬)として返ってくるはずです(少し時間がかかるかもしれませんけどね)。

ローカルナレッジ 発行人:竹田茂

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