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デジタル化成功の鍵はアナログ力(りょく)にある

Posted by local knowledge on November 4th, 2022

検証が困難な俗説ですが、人類が最初に発見した数字は「2」と言われています。食べられるもの(1)と食べられないもの(0)を“分けた(二分した)”というわけです。立派なバイナリデータ(binary data)です。画期的な数字“ゼロ(Zero)”がインド(正確には7世紀のインド人数学者ブラーマグプタ )で発見されるのにはそれから数千年以上の時間を必要としました。この「0」か「1」かの二者択一は人類の悪しき習慣でして「白黒はっきりつけようじゃねえか(つかないから揉めてるんじゃねえか)」「好きなの?嫌いなの?どっちなの(そもそも無関心なの)」「上へ下への大騒ぎ(じっとしとれ)」「円安・円高どっちが正しい(円安のメリットもあるよ)」という具合に、私たちの生活がまさにこの二項対立で成立しているかのように見えるのが様々な軋轢を生んでいるのは間違いのないところであります。全て( )内が正しいのです(たぶん)。

ご存知のようにデジタルデータの基本単位は1ビット(bit=binary digit)です。1ビットに0または1のいずれかの情報を持たせ、それを膨大に集め、特定のアルゴリズム(algorithm:計算手順)に食わせ、何らかの統計的・確率的な処理を施すことで、私たちは欲しい情報を手にしている、と考えられます。デジタル化社会といっても太古の昔の「食える/食えない」とやってることは大差ないのですね。あまりにデータ量(情報量)が多いので自分を見失っているに過ぎません。デジタルデータは「コピーしても品質が劣化しない」「コピーするコストをほぼゼロとみなせる」「重量がないので、移動がスピーディ」という魅力的な性質を備える一方、曖昧さを表現するのは苦手です。例えば「常識(あるいは良識)やマナー」は極めて状況依存度の高い曖昧な価値なのでAIで算出するのはほぼ不可能でしょう。デジタル田園都市国家構想に至っては、一体何が言いたいのか私にはさっぱりわかりません。ぜひ「丁寧な説明」をお願いしたいです(現政権は、この言葉の多用を好むようですね)。

というわけで「自然をシミュレートしようとしたら量子コンピュータみたいなものじゃないとダメなんじゃね?」と喝破したのがかのリチャード・ファインマン(Richard Feynman)でして、彼の1982年(40年前!)の論文「Simulating Physics with Computers」からその後の量子コンピュータの開発が本格化しました。余談ですが「シミュレーション」という言葉からはどうしてもニック・ボストロム( Nick Bostrom)の「シミュレーション仮説 」を想起してしまいます。リンク先のwikipediaの解説がとても難しいのでなんのことやら、と頭を抱えてしまう方も多いかと思いますが、「私たちが生きている世界自体がシミュレーションではないとは言い切れない、ということが証明できた」と言ってるに過ぎないので「だからどうした」であります。ただしメタバースを推進したい人はこの仮説を論拠として盛んに引っ張り出すはずなので少し注意しましょうね。

話を元に戻しますが、この量子コンピュータなるものが一体何者なのかは残念ながら非常にわかりにくい。私自身、正確に理解しているのかどうか甚だ怪しいのですが、多くの方は「量子もつれ(quantum entanglement)」でつまづくようです。舌がもつれたり、別れ話がもつれるのはわからんでもありませんが、「量子もつれ」はどうにも生活実感が乏しい。ところがこの「量子もつれ」が2022年のノーベル物理学賞を受賞してしまったので、ここはこの「量子もつれ」を手短に解説することにします。先にご説明したように、現在私たちが利用しているコンピュータ(これは量子コンピュータの世界の人からは古典コンピュータと呼ばれます。少々失礼な気がしないでもないですね)の処理する「bit」は0か1のいずれかの状態だけをキープします。これは北極と南極だけでできた「棒」のようなもの。ところが量子コンピュータのビット(量子ビット)は(北極・南極を含む)球体でできていて、任意の2点を指し示すことができます。地球の中心から2本の矢が出ていて、1本は北半球の任意の1点、そしてもう1本は南半球の任意の1点を指し示すことができる、と考えてください。地球上の任意の地点は必ず「緯度」と「軽度」で表すことができますが、量子には波の性質(振幅)と粒子(位相)の性質を持つ二重性がありますので、この振幅と位相の関係を緯度と経度の関係になぞらえることができるわけです。このように振幅と位相を重ね合わせた状態が「量子もつれ」と理解していただいて良いかと思います。

詳しい説明はぜひ『絵で見てわかる量子コンピュータの仕組み』(宇津木健、翔泳社、2019年)をお読みください。先に述べたアナロジーもこの書籍からの引用です。現在発行されている量子コンピュータの解説書の中で最もわかりやすい良い入門書だと思います。ちなみに著者の宇津木健さんは日立製作所・研究開発グループで「シリコン量子ドット」の研究をされています。量子コンピュータはその実現のために様々な方式が提唱されていますが、個人的にはこの「シリコン量子ドット」を利用した量子コンピュータが最も早く実用化されるだろうと睨んでいます。現在の古典コンピュータが極めてクリアカットな「デジタル」なのに比べると、この量子もつれの話を聞くと「これってめちゃめちゃアナログじゃん」と感じるわけです。何しろ「自然をシミュレートする」のが目的なんだから当たり前ですよね。実際、量子コンピュータは計算させるためのアルゴリズム(=現在の“デジタル”とは非常に相性がいい)の発明が遅れていて、(私の知る限り、ですが)組み合わせ最適化(のためのアルゴリズム)くらいしか有効なものが見つかっていないようです。

私たちはコンピュータを利用することを「デジタル化」と理解しがちですが、現在のデジタル化は「作った人→コンピュータ→使う人」が主流です。両端はいずれも「人」だ、ということがポイントです。「使う人」は「作った人」の意図を忖度して使ってくれますから、例えば使いにくいUI/UXだったとしても「たぶん、こういうことが言いたいのだろう」という具合に、作った人に寄り添ってくれます。単なるアナログな人と人のコミュニケーションシステムに過ぎないわけです。ところが、例えばIoTのシステムなどの場合は、作った人→コンピュータ→センサ→自然環境という流れになります。20種類を超える物理法則が支配する世界を観測する時に、自然が人の気持ちを斟酌することはありません(むしろ猛威をふるったりします)。エコシステム実現のためのハードルが桁違いに高くなるのです。この時「作った人」が持つアナログな知見(のレベル)が最終的なサービスの品質を規定することになることは十分予想できるところです。(メタバースなども含めた)デジタルコミュニケーションシステムで日本が世界を凌駕する可能性は極めて低く、いつまでも周回遅れだろうと思いますが、もしも自然が相手なら(e.g. デジタル回路ではなくアナログ回路、など)まだ何か方法があるのではないか、と思うわけです。「Simulating Physics with Computers」は日本人のためのメッセージだと受け止めるべきでしょう。テレビは盛んに「日本人ならではの職人魂や職人芸」のようなものを持ち上げますが、そういうことではないのです。自然を観察する態度が重要になる人たち、つまりは自然科学者が今後の国力を左右するのではないか。「シュレディンガーの水曜日」は(大げさですが)そのような意図で始めたプロジェクトでもあります。

ローカルナレッジ 発行人:竹田茂

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