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新規事業は「がいい」でやれ

Posted by local knowledge on March 3rd, 2023

これまたずいぶん前の話ですが、作家の故・橋本治氏の映像取材(注1)のために彼の事務所に向かっていたとき、このままだとちょいと早く到着しすぎるな、と思い、目についたところにあったラーメン屋さんに飛び込みました。当然のことながら初めての店だったので、何を頼もうかなとしばらく思案し「この店で一番(量が)出るラーメンは何?」と店長らしき人に尋ねました。彼から「あんたはエライ。初めての客ってみんな「この店のオススメは何?」て聞くんだけどさ、うちはね、全部オススメなんだよ。だけどあんたは「オススメ」じゃなくて「一番よく出るラーメンは何だ」って聞いた。いいね。そうこなくっちゃね」という具合に、生まれて初めてラーメン屋さんのオヤジに褒められました(笑)。しかしよくよく考えてみると、私は「過去のデータに基づいたもっとも無難なもの」をオーダーしようとしていたに過ぎず、リスクを最小限にしたいという魂胆が丸見えなんですね。「こういうラーメンが食べたい!」という強い想いがないという意味でも、ラーメン屋さんに対する態度としては私のオーダーもやはり失礼千万、というべきでしょう。

市場原理主義の最大の弱点は(厳密に言えば、ですが)「本当に欲しいものは実在しない」ということです。それが豆腐であれクルマであれ、基本的には「大量に販売される」ことを前提とすることで、手頃な価格が実現できているわけですが、そこには必ず私たちの“妥協”があります。「少し違うけど、ま、いいか」という具合に、実在するモノに自分の欲望を“調整”させる必要がある。自分が本当に欲しいものにどうしても拘りたいのなら、自分で作るか、あるいはフルオーダーによる目玉が飛び出る価格を覚悟しなければなりません。クルマのワンオフ(one off)などの場合、平気で億(円)を超える価格になりますけどね。というわけで、これだけモノやサービスが溢れていても、私たちには「ほどほどのところで手を打つ」という態度が求められているわけです。ここには「でいい」がはびこることになります。「タクシーで行く?」「電車“で”いいよ」「何食べようか?」「いつもの定食“で”いい」「紙がいい?」「PDF“で”構わない」という具合ですね。「でいい」は妥協の産物ではありますが、サーチコストを最小限にするための賢い戦略という側面も否定できません。結果的に私たちの生活空間はその大半が「でいい」モノで溢れているはずです。

ただし、新規事業の開発時には、この「でいい」という態度が致命的なダメージを与えることがあります。最終的なサービスやモノの品質を格段に低くするリスクがあるのです。ここは「でいい」ではなく「がいい」を連発する必要があります。仮に、最終的に(部分的に)「でいい」もので妥協さざるを得なくなるとしても、新規事業=市場に存在しないものを作る、わけですから、プロジェクトチームがもっとも理想的と考えるものをその志(こころざし)と共に高く掲げる必要があります。「でいい」はプロジェクトは早く進むのですが品質自体は低くなる可能性が高い。したがって、プロジェクトチーム内に「ここ、どうしようか?」という相談に対して「◯◯でいいんじゃない?」を連発する人がいたら、少し注意したほうがいいですね。チーム全体の士気(morale)が知らず知らずのうちに下がってしまうのです。逆にプロジェクト・リーダーには「がいい」とメンバー全員が言いたくなるムードを醸成する義務があると思います。3月9日のローカルナレッジ/本の場は、「全県2日以内に市町村立図書館、高等学校図書館、特別支援学校図書館、産業支援機関、県立病院図書室等に図書が届く物流システム」“が”いい、ということにこだわった小林隆志さん(鳥取県立図書館 館長)のお話しの第二回です。ぜひご参加ください。

注1)この時の取材結果は以下の4本の動画として公開されていますので、ぜひご覧ください。博識や頭の良さ以上に感じていただきたいのは、橋本さんの「底抜けの優しさ」です。橋本さんの“声”にじっくり耳を傾けていただければ、それが必ずやみなさんに伝わるはずです。YouTube上で公開されている彼の動画の中でもっとも優れた作品であると自負しています。

1)日本の学校教育はなぜ身に沁みないのか
2)必要なのは「教科書」ではなく「副読本」である
3)会社は「律令国家」とおなじ仕組みで動いている
4)「女帝の時代」をみれば現代の日本がわかる

ローカルナレッジ 発行人:竹田茂

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