newsletter

ダブルメジャー(double major)という専門性

Posted by local knowledge on December 23rd, 2022

私自身が新潟の片田舎の高校生だった頃はその存在すら知らなかった国際基督教大学に(これまた随分昔の話しですが)たまたま自分の娘が入学することになり、改めてこの大学のことを調べたことがあります。第二次世界大戦の敗戦後、東京府北多摩郡三鷹町(当時)にあった、一式戦闘機「隼(はやぶさ)」の設計・製造で有名な中島飛行機製作所・三鷹研究所の敷地が米軍により没収され、そこに米国のキリスト教関係者と米軍が出資する形で、1953年(昭和28年)に設立された米国型リベラルアーツカレッジが国際基督教大学です。もともと広大だった敷地を少しづつ東京都などに売却し(そもそも日本の土地なのでヘンな話ですが)、学費を低く抑えることができたので、比較的少ない学生数にもかかわらず、教育環境自体は充実していたようです。

この大学の最大の特徴は、教養学部だけの単科大学であることに加え、入学時に31種類のメジャー(専修分野)の中から、シングルメジャー(主専攻メジャーを1つ)、ダブルメジャー(2つのメジャーを同時に組み合わせて履修)、メジャー+マイナー(主専攻 + 副専攻2つのメジャーを比率を変えて履修)という3種類の学び方を選択させる点にあります(どのようにメジャーを選択するかによって、卒業までに修得すべき単位数の内訳が変わってきます)。この3種類の専攻形式がどの程度の割合で学生に選択されているのかは知りませんが、特に「ダブルメジャー」という制度が、副業が当たり前の時代にとてもふさわしい学び方のような気がします。4年間程度の学生生活で学んだことが社会ですぐに役立つ専門性を育むとは思えませんが、無関係な専門分野を2つ専攻したという事実や自覚は、後々、視野を広げて社会を捉えようとする時に有効になるはずで、昨今必要とされている「多角的に物事を考える方法」とも非常に相性がいい。

最先端の研究分野でも、もはやある特定の分野に詳しいだけでは太刀打ちできなくなりつつあります。先日私が司会を担当した、ある企業内研修の講師として登場した一杉太郎氏固体化学の専門家であると同時に、ベイズ最適化の専門家という側面を持ち併せています。固体化学“だけ”、あるいはAI“だけ”であれば、もっとすごい人はいるかもしれません。しかし固体化学×ベイズ最適化の専門家という意味では、一杉氏は日本を代表する研究者と言っても過言ではないでしょう。異分野の専門性を結合させることで、明確な差別化要因や個性を創出できる、というわけです(余談ですが、彼の究極の目標は「室温超電導」です)。

ある特定分野の専門性の深さは、その専門分野にコミットしている人口に比例するので、今後は、最先端研究分野で日本が米国・中国・インドを凌駕するのは難しくなるはずですが「ダブルメジャー」ならまだ一縷の望みがあるのではないか、と思うのです。それも隣接する領域ではなく、なるべく離れた専門性の掛け算がユニークな人材を作ることになるでしょう。アート×軍事、金融×法律、心理×外交、情報科学×政治、生物×金融、公共政策×数学、医療×予測、物質科学×スポーツ、建築×心理、物質科学×経営、バイオ×哲学などなど、組み合わせはほぼ無限です。また、昨今は、二つの大学で学位をとる「ダブル・ディグリー」に加え、「ナノ・ディグリー(またはマイクロ・ディグリー)と呼ばれる、極めて「狭い範囲」の専門性に対して学位を付与する、という考え方も(特にIT・AI分野で)浮上し始めていることに注目しておきましょう。

なお、A×Bの専門家を名乗る場合、A×Bで儲けることができるのは当然として、A単独でも、あるいはB単独でも稼げることが重要です。「ITの専門家だけど趣味でコメを作っている」みたいなのはダメ。趣味やボランティアはいつでもそこから離脱できる逃げ道を与えてしまうことになるので、真の専門性は育ちません。「顧客からのオーダーに応え、作業を行い、報酬をいただく」が基本です。AまたはBの単独で、低額でも構わないのできちんとした売上を立てられることが専門を名乗るための最低条件でしょう。一方、専門性には絶対的な深さは必要ありません。たとえば国際コンクールに出場するほどの腕前があるわけではないけど、町でピアノ教室を運営してそれなりに繁盛しているのであれば、それはその地域におけるピアニストとしての立派な専門性を有する、ということになります。「かかりつけ医」がそうであるように、私たちが頼りにしたい専門性は「それが歩いていける距離に存在していること」に大きな意味があります。必ずしも超一流である必要はありません。

また専門性が普通にクロスオーバーしてくるようになると、いわゆる“業界”という概念が少しづつ融解していき、もっと別の、例えば価値のクラスターで分かれていくようになるのかもしれません。例えば「共感」という価値の本質を追求するために、ミラーニューロンを研究する脳科学者が、コンパッションを研究する社会学者と共同研究してもらえれば、かなり早く(共感を)社会実装できそうな気がするのです。学会(academic conference)が細かく分かれすぎて機能不全に陥っている時に、それを価値のクラスターで再構築していくのは(色々な問題を孕んでいそうではありますが)生活者の目線からは極めて自然な流れのように思います。信頼・信用、安心・安全、統合・結合、交換・共感、可視化、改良・修理・修復、変容(transform=DX)、個性、標準・常識・良識、翻訳・意訳、発明・発見・創造などがとりあえず頭に浮かびます。

ローカルナレッジ 発行人:竹田茂

最新コラムはニュースレターでお送りしています。お申し込みは下記から

ニューズレター登録はこちら