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「救い」を手がかりに「宗教とは何か」を考えよう

Posted by local knowledge on April 14th, 2023

諸説あるはずですが、日本のIT(情報通信産業)は、1952年(昭和27年)に日本電信電話公社(現在のNTT)が郵政省(現在の総務省)の外郭団体として設立され、その電信電話事業を遂行するにあたって、交換機などの様々な設備・機器を民間の電機メーカーに“均等に発注”したところから始まった、と(個人的には)理解しています。欧米に追いつきたい一心で明治にスタートした官制の電信電話事業、その流れから設立された電電公社、さらにそこから発注を受けた電機メーカー……..という歴史の中で注目しておきたいのは、そこには独自の教義や宗教観のようなものが全く見当たらなかった、ということですね。早く(欧米に)追いつくために“余計なことを考えず”黙々と、そして実直に作業をこなしたことが日本的高品質実現の大きな要因になったことも否定できないので、そのあたりの良し悪しの判断は難しいのですが。

それと比較すると、特に米国企業は、例えば故・スティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)のカリグラフィ(calligraphy)に対する異様とも思える執着、あるいはセールスフォースを立ち上げたマーク・ベニオフ(Marc Benioff)の、ヒンドゥー教の教義をベースにした「ソフトウエアの終焉(the end of software)による新しい働き方」というように、「なんだかよくわからんけど魅力的」なステートメントを表明するのが一種の儀式になっています(株式市場と相性がいいのです)。彼らが販売しているのはパソコンやソフトウエアではなく「教義」なのですね。教義がたまたまソフトウエアなどの形になっているだけ、とさえ言えるかもしれません。教義のいいところはそれが倫理的かどうかを証明する必要がないことです。単なる好き嫌いの話ですから、それに共感してくれる人がそこそこ存在するのであれば商売になります(コピーそのものが商品になりうる広告業界とよく似てますね)。「Don’t be Evil」をモットーにしていたはずなのに、悪魔のような巨大企業になってしまった例に見られるように、その教義が社会的正義を実現しているかどうかはどうでもよく、これがリバタリアン(libertarian)の出現につながります(1970年代のレーガノミクス(Reaganomics)あたりから顕著になる米国のお家芸ですが)。

逆に、日本上陸に成功したとは言い難い“教義”の代表例が「ユビキタスコンピューティング(ubiquitous computing:マーク・ワイザー(Mark Weiser,)による」でしょうか。ここでは「様々なところにコンピュータが遍在するようになるので、その存在を意識しなくても気軽に情報にアクセスできる」という意味での布教活動が行われたわけですが、遍在するコンピュータがキリスト教における「神(もしくは神の子としてのイエス・キリスト)」のメタファー、すなわちいつでもどこでも神のご加護(God bless you)に守られていることの暗喩だったことから、無宗教を自認する日本人には「意味がよくわからん」ということで定着しなかったのだろうと思います。茶柱が立つことに霊性を見出してしまう八百万(やおよろず)の神を信じる日本人に「いつでもどこにでも同じ神が遍在しているのだ」と力説しても共感を獲得するのは困難だったのでしょう。

『現代日本の宗教事情』(堀江宗正 編、岩波書店)では、様々な国々における宗教に対する態度の違いが提示されていますが、日本は「他宗教の信者を信頼する」「他宗教の信者も道徳的である」「宗教は重要」と考える人の割合が国際的には最低ランク、そして「他宗教の信者とは隣人になりたくない」人の割合が最高ランクの国です。つまり宗教に対して排他的・無関心、というのが(統計的には、ですが)日本人の傾向であることが紹介されています。無宗教だからこそ、クリスマスにケーキを食べ、その直後の正月に節操なく初詣に出かけることができるわけです。宗教が宗教であるためには「信仰・実践・所属」の要素を兼ね備えている必要がある、というのが通説ですが、日本人の“宗教的儀式の消費性向”を見ていると「信仰はしてないが行事に対しては無駄に熱心」という特徴が見て取れるわけです。今まではそれでもよかったのでしょう。

しかし、1)コロナ禍、2)安倍晋三銃撃事件、そして3)ロシアによるウクライナ侵攻、の三連発で、それぞれの宗教的背景が浮き彫りになった今、この無節操な日本人でさえ「俺は宗教の事はよくわからん」では済まされなくなってきた、と思いませんか。改めて、宗教とは何かをきちんと学ぶ必要があるのです。そしてここになんとも良いタイミングで登場したのが、日本の宗教社会学の第一人者、島薗進氏による『宗教のきほん なぜ「救い」を求めるのか』です。「救い」という非常にわかりやすい補助線を用いる事で、宗教全体を総合的に理解できる入門書として構成されています。「深いのにわかりやすい」のです。

ローカルナレッジ 発行人:竹田茂

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