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戦後の深刻な住宅不足に学ぶ

Photo : 神戸市北区有野にて有野台から岡場方面を望む / photop5 / stock.adobe.com

Posted by local knowledge on February 2nd, 2024

「51C」という、もはや忘れ去られようとしている言葉があります。これは、戦後の深刻な住宅不足を受けて、1951年に策定された公営住宅標準設計案の中から実際に採択された「公営住宅標準設計C型」の略称です。国家事業として進められる事になるこの公営住宅建設計画の眼目は(そもそも、この公営住宅構想が持ち上がった時に、時の政府が最も良い見本として参考にしたのが、当時のヨーロッパの労働者階級向け住宅だったという説もありますが)鉄筋による高層化、標準化による効率化、低コストで衛生的であること、でした。これを受けて当時の日本建築家協会が多くの建築家に様々なプランを求め、採択されたのが東京大学・吉武研究室の案で、A案(16坪)、B案(14坪)、C案(12坪:およそ35m2)のうち最も小さいC案が51年に採用されたので「51C」となったわけです。この狭い空間の中で「食寝分離」及び「就寝分離」(吉武案に先立ってこれを提唱したのは京都大学の故・西山夘三氏)を実現するためにひねり出された苦肉の策が、ダイニングキッチン(DK)です。

ここで強調したいのは、この51Cプラン自体の是非ではなく、これが計画されたのが「戦後の深刻な住宅不足を受けて」であるということです。実感しにくいのですが、1995年の阪神大震災から今回の能登半島地震までの間に日本全体が受けたダメージは(時間を圧縮して俯瞰すれば)この「戦後の深刻な住宅不足」に匹敵する、と考えられます。つまり今、日本には戦後の「51C」に匹敵する、いやむしろ51Cのようなその後の高度成長や人口増加を前提とした生ぬるいものとは真逆の、ローコストで強靭(robust)な、そして住宅単独ではなく街の設計全体を視野に入れた「復興プラン」が必要なのだと思います(残念ながら現在の日本には「復旧」を目指す資格がなく、「新しい復興」を選択せざるを得ないはずです)。避難所の寒さ対策として毛布を増やす予定だ、などというぼんやりした議論を繰り返している余裕はないのです。

ビジネスの現場で新しい事業を開発しようとするときに、最も重要な態度の一つに認知変革(cognitive transformationまたはperceptional change)があります。簡単に言えば「常識だと思っていたことを破壊せよ」ということです。今、この「新しい復興」で求められているのはまさに「新しい常識を作れ」ということなのですね。これ、実は非常に簡単な作業です。現在の自分が100年後の自分だとして100年前の現在(=2024年)を懐かしむ、としたら何を話題にしてるだろうか、という妄想を繰り返せばいいんです。

避難所として体育館などが指定されていて大量の毛布が準備されていた、自宅なるものは一箇所にしかないのが普通だった、瓦(かわら)という重量物を屋根に積み上げていたらしい、(政党への)企業献金は合法だった、裁判所と検察の間で人事異動が普通に行われていた、分譲か賃貸かで大騒ぎしていた、空き家なる廃屋が1000万戸を超えていた、自宅と農地が分離していなかった、クルマは電気自動車があたり前になると予測されていた、駅(station)が街の中心と考えられていた…….という具合に「このろくでもない、すばらしき世界」に思いを馳せれば「じゃあ今(100年後)はどうなっているの?」が一発で妄想できるはずです。

その意味で、先日のローカルナレッジにおける松村先生の講義はとても参考になりました。要点は2つ。
1)フラー(Buckminster Fuller)は、全体を最適化してそのあと部品を考えた。一方、イームズ(Charles Eames)はまず部品の共通化からスタートした。建築という仕事はこのフラーとイームズの間で揺れ動いているに過ぎない。
2)被災した家屋の(耐震機能の付加も含めた)修復は、どの程度のコストをかければ最適化されるのかは誰にもわからない。

なお、松村先生の次回の講義は3月14日(木曜)を予定していますので今回参加できなかった方はぜひ。それと、今ご本人から連絡をいただいたのですが、2月14日の「シュレディンガーの水曜日@LocalKnowledge」は、なんと高分子学会の会長が、日本物理学会の会長に講義する、という前代未聞の構成になることが決定しました。素晴らしい。

ローカルナレッジ 発行人:竹田茂

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