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異なる“専門家”同士の接続

Posted by local knowledge on February 24th, 2023

慶應の諏訪正樹研究室では、学生をカラオケに連れていくことが研究活動だ、とご本人から聞いたことがあります。メタ認知のトレーニングです。部屋の天井のあたりに、歌っている自分を観察している自分がいる、とイメージさせるのです。そうすると間違いなく“歌が上手になる”のだそうです。歌(歌唱)の場合は、音それ自体のフィードバックが自分自身(の耳)に直接返ってくるので、あえてメタ認知するまでもなくリアルタイムで矯正していくことが可能なような気もしますが、ともあれこのメタ認知トレーニングは私たちの日常生活でも非常に簡単に実施できます。

自分自身の頭上少し後方に自分を観察している自分がいて、自分の視点を「頭上にいる自分」に意識的に移動させるのですね。例えば今、私はPCに向かってキーボードを叩いているわけですが、その頭上後方にその様子を観察する自分をイメージしてみましょう。そうすると「なんだかひどい姿勢でキーボード叩いている自分」が発見できるので、もう少し椅子の深い部分まできちんと腰掛けたほうがいいな、ということに気がつき、その姿勢を正す行動に出る、という具合です。特に、忌み嫌う自分自身の(身体的な)クセをなくしたい場合に割と有効なので、皆さんも試してみてください。派手なオーバーアクションで会話している自分をメタ認知すると(そのような自分を恥ずかしく感じるので)割と普通の所作になったりします。

おそらく優れたアスリートはこのメタ認知能力が際立って高いはずで、これが最終的にはある種の美しさと身体的な教養の深さにつながるわけですが、この価値を他人に伝えるのは案外難しい。私自身、中学生時代は野球部に所属していて、守備はファースト(一塁手)でした。ファーストの仕事は「どんな悪送球が来ても確実に捕ること」でして、頭上を越えそうな悪送球は思いっきりジャンプして捕る、地を這うようなタチの悪いワンバウンドも確実に捕る、最悪でも前に落としてすぐに拾う、が鉄則です。つまり「捕れてあたり前」なので(いわゆる)ファインプレーが少なく、周りから賞賛されることは滅多にないという損なポジションなのです。が、スポーツをやっていた人であれば分かってもらえると思いますが、自分の中では「あ、うまく決まった」という美しさのようなものを感じることが(たまに)あるのですね。これがたまらない快感なのですが、この感動をなかなか人に伝えるのは難しい。このように、世間ではそれがファインプレーであることが外部に伝わりにくい専門職というものがかなり実在しているはずで、それは野球で言えばホームランのように価値の分かりやすい攻撃ではなく、むしろ守備に近い業務、すなわち保守、運用、修理、改修、あるいは流通などの業務に多いのではないでしょうか。

「自転車の乗り方」を言語で記述するのが極めて難しいように(乗ってみせて、同じようにやってみろ、というのが一番手っ取り早い)、身体知は、反復運動を繰り返す中で微妙な修正を加えながら徐々に理想的な型に近づいていく、という方法でしか鍛えられません。アスリートに限らず、多くの専門職の人たちはそのような形で徐々にそのスキルを上げていると考えられます。体力のある学生時代にたまに引越しのアルバイトをやってましたが、翌日は疲労困憊でまったく使い物にならない。ところがそれを専門職としているプロが実在していて、彼らにとってはその仕事が日常なわけです。これはどう考えても身体の使い方に何か決定的な違いがあるであろうことは想像に難くないわけです。力の使い方や抜き方、休憩の方法などになんらかの「完成された経験知として型」があるのです。外部から観測しても地味な作業にしか見えないのですが、そこにはプロフェッショナルとしての専門知がカラダにインストールされている、だから毎日の仕事に耐えられるわけです。

先日のセミナーは村上先生が不在で始まるというトラブルに見舞われ(少し遅れてご登場されただけだったのですが)、かつ自分自身がかなり久しぶりの「司会」だったこともあり、少しドタバタしながら始まったのですが、このセミナーでの主たる話題は、学術および医療の専門性、そして専門と専門外の接続でした。そしてこのセミナーを実施している最中に私がずっと考えていたのは、「ここにいる“専門家”と身体知に優れた専門家はどうすればうまく協調行動を取れるか」ということです。失敗事例なら過去に山ほどあるので、何か新しい方法を開発する必要性を痛感する訳です。

ローカルナレッジ 発行人:竹田茂

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