
細倉を記録する寺崎英子の遺したフィルム
The film left by Hideko Terasaki, documents Hosokura
Photo : 狭い路地 / Paylessimages / Adobe Stock
Posted by local knowledge on August 27th, 2025
宮城県北西部の奥羽山脈山麓の鴬沢町(現在の栗原市)には1987年まで細倉鉱山がありました。幼少期に脊髄カリエスを患い、闘病ののち戦後に満州からこの街に移り住んだ寺崎英子(てらさき・えいこ)さんは、家業の商店を手伝いつつ、細倉鉱山の閉山が発表された直後の1986年から鉱山の町に暮らす人々を撮り始め、膨大なフィルムを残しつつ、その大半をプリントすることなく2016年に75歳で亡くなります。
写真家の小岩勉 (こいわ・つとむ)さんが、知り合いの編集者から「細倉で写真を撮っている人がいる」と寺崎さんを紹介されたのは1988年頃。その後何度かコンタクトはあったものの、膨大なネガをどのような形で活かすか、ということに決着がつかないまま10年近い月日が流れることになります。その後、岐阜県揖斐郡徳山村(現・揖斐川町)における徳山ダム建設で沈む村を撮影した「増山たづ子」の展覧会を仙台で開くことになり、小岩さんはこの実行委員会に加わったことをきっかけに、改めて「寺崎英子」が気になり始め、すぐに彼女と再会し、ネガを預かることになります。数ヶ月の紆余曲折を経て、せんだいメディアテークの協力を取り付けることに成功した小岩さんがそれを伝えるべく連絡をとったとき、寺崎さんはすでに亡くなっていました。
『細倉を記録する寺崎英子の遺したフィルム』は、それが出来上がるまでのストーリーや貴重な記録写真としての価値以上に、その品質の高さに驚かされます。定点観測している人にしか撮れない「絶対非演出の絶対スナップ」の本当の凄み、そしてそれとは裏腹の被写体のあまりにも自然な笑顔、そして人のいない風景に注ぎ込まれた暖かい眼差し、どれをとっても「写真をちゃんと勉強したわけではない人の作品」とは思えません。

私たちが過去を振り返るとき、どうしても「懐かしさ」が先に立ちますが、実はこの過去を振り返るという行為は「自分自身の経験知を改めて確認する作業」に他なりません。例えば中学生の時の野球部での猛練習をクリアしてきたという経験は、これからの未来を切り拓いていく時の精神的な燃料でありエンジンになります。「あれを乗り越えてきた自分にだったらできるだろう」と思えるわけです。そしてその経験知が可視化されたものが「写真」です。『細倉を記録する寺崎英子の遺したフィルム』はその意味で、私たちにたくさんのエネルギーを与えてくれる写真集のような気がします。
2025年9月12日 は、『細倉を記録する寺崎英子の遺したフィルム』発行者の小岩勉さんと、写真評論家・飯沢耕太郎さんがこの写真集を眺めながら、色々な想いを馳せる夜にしたいと思います。22時開演、入場無料です。下記からお申し込みください。
https://www.localknowledge.jp/2025/08/2025/
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