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健常者は障害者によって生かされている

Posted by local knowledge on December 10th, 2023

先日、日本海側を小旅行したのだが、新潟県上越市高田「瞽女ミュージアム高田」に寄ってみた。「瞽女」とは、盲目の女性が、数人で組をつくって各地をまわり、三味線をならして「山椒大夫」や「小唄」などをうたって、金品や食糧をもらう旅芸人である。かつては日本海側を中心に全国にいたようだが、明治の中頃には衰退し、50年ほど前まで残っていた高田の瞽女を記録・顕彰しているのが当ミュージアムである。有名な水上勉「はなれ瞽女おりん」はこの高田の瞽女がモデルである。

ミュージアムに入ると上がり框になっていて、そこで先客が熱心に瞽女を説明する映像を観ている。こういう地方ミュージアムの映像は、たいがいつまらないのだが、とりあえず座ってみると、これがもう動けない。映像が心を掴みきって離さない。三、四人の瞽女達が橋もない川の飛び石をつたっていく。そのうつむき加減、足元の動き、山奥の瞽女宿…旅の厳しさが実体験のように迫ってくる。最後に残った瞽女の姿を克明に追ったドキュメンタリーである。これは良いものを観たと、クレジットを読むと、ナレーション:戸浦六宏。おっ! プロデューサー:牛山純一。おお! ディレクター:大島渚、小笠原清。おおお!。魅せるはずである。大島渚の映像論は、私には語れないのだが、瞽女が消えていくことを「文化が消える」のではなく、「瞽女」を生業にする一部族が消滅する姿を捉えているように思われる。最後の瞽女達は淡々と、歩き、三味線を鳴らす。

印象に残ったのは、山奥の瞽女宿に近在の人々が集まって瞽女の唄を聴く場面だ。撮影されたのは1972年頃の事の様だが、その時点でさえ集まるのは老人、それもほとんどがおばあさんのみである。若者は既にテレビなど新しい娯楽に流れて、瞽女唄など必要としていなかったのであろう。おばあさんの顔色が現代の日本人と明らかに違う。長年の農作業や雪の照り返しで日に焼け尽くしている。シワや凹凸が刻みこまれてあたかも焼きすぎた草加せんべいの如し。土の色、大地の色と言えようか。半世紀前の農家の年寄りは皆こんな色だったような気がする。青梅に住んでいた私の父方の祖母も同じ色をしていた。一方立川で駄菓子屋を営んでいた母方の祖母の色は明らかに白かった。青梅線の始発終点だけでもこんな大きな違いがあった。二十年くらい前までは中国人もこんな土の色をしていたが、最近の中国人は美白に余念がないのか、日本人以上に白い。

おばあさん達が瞽女の唄に聞き入っている。そして泣いている。自分自身の苦しかった日々が、氷河の様に蓄積している。その重みを絞り出す様に泣いている。

昔のお年寄りは泣かなかった印象がある。少なくとも人前では。あるいはカメラの前では。しかし瞽女の生い立ち、歩み、暑さ、寒さ、差別、様々な苦しみを超えて唄われる人生に泣かされている。おばあさん達も泣きたかったのだ。健常者が一芸能として同じ唄を唄ってもこうはならないだろう。それは瞽女の唄が芸能や芸術・文化ではなく、一つの信仰だからだ。

水上勉の「はなれ瞽女おりん」にこんなくだりがある。

「瞽女さまだけは、陽があたれば、その陽を他人にあずけられ、年じゅう陰の地を暗い苦を背負うてひたすら旅なさる。これみな、おららの罪業、諸悪にみちた黒い軀の、悪の血をひき吸うて下さるみ仏でなくて何でござりましょう」※1

瞽女は、年に数回やって来る稀人として、神でもあったのだろう。瞽女は「必要とされていた」。かつて、目の見えない女性にとって就ける職業は按摩か、瞽女の二択しかなかったという。二つしかないと考えるべきなのか、二つは確保されていたというべきか。少なくとも日本の農村において二つの職業は必要とされていた。

星野太は「食客論」のなかで、昨今流行りの言葉「共生」を以下のように喝破している。

「「社会」から排除されてきた弱者や少数者を「包摂」しなければならない、あるいはそうすべきである」※2

つまりは、「本当はいてほしくないんだけど、最近いろいろうるさいから入れてやるよ」ということである。この理屈上では、障害者や少数民族などは、「必要とされていない」。だからこそやまゆり園事件の被告が虐殺の理由を「意思疎通の取れない障害者が社会にとって迷惑だと思ったからです。社会の役に立つと思ったから※3 」と発言してしまうのである。

共生は進んだ。だが、我々に大事なのは、障害者を、健常者が「必要とする社会」だ。障害者によって生かされていると考える気持ちである。目の不自由なミュージシャンが愛されるのは目が見えないからではなく、その音楽性による、と考えられる。瞽女唄の様に、「盲目だから人を幸せにできる」。そんな場面を作っていくことが大事ではないのだろうか。例えば、目の見えない人と、耳の聞こえない人が音楽を作る。それは触覚と嗅覚で作る音楽だ。つねる、はさむ、たたく、なでる、さする、風が髪をなびかす、春の土の匂いがする、熱い、冷たい、これを一定のリズムで交互に繰り返せば立派なシンフォニーになるはずだ、それを作曲できるほど敏感な人は何らかの障害を持っていることが「必要に」なるだろう。

私は、重度の知的障害者の父である。障害は不便ではあるが、不幸ではない。彼によって私は父親にしてもらった。どんなに苦しいときでも彼の笑顔に支えられて生きてきた。そんな幸せを世界中の人にも経験させてあげたい。

岩田真一 (会社員)

※ 1 水上勉「はなれ瞽女おりん」新潮社、1975年 p.63
※ 2 星野太「食客論」講談社、2023年 p.7
※ 3 東京新聞Web版 2020年2月5日(閲覧2023年11月17日)

今週の「Local Knowledge News Letter」は岩田真一さんからのコラムをお届けしました。来週のローカルナレッジ(本の場)は学芸員・松山聖央さんによる「企画展の作り方」 を開催します。

ローカルナレッジ 発行人:竹田茂

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