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枠は自分が破壊されることを期待している

Photo : 松本市徳運寺の藤棚 / kikisora / Adobe Stock

Posted by local knowledge on April 5th, 2024

「私は◯◯の専門家です」と宣言し、その枠(わく)を超えていると自身が判断したものについては一切の業務を拒否するという個人事業主や法人にたまに出会いますが、これは発注者からすると猛烈に使いにくい。“使える局面が非常に狭い特殊な道具”は、そのレベルが極めて競争力の高いものでない限り採用されることはまずありません。一方、「できるかどうかわからないけど、やってみましょうか」と前のめりになってくれる人に限って期待値を上回る成果を出してくれたりしますから、世の中って面白いですよね。

そもそも私たちはその氏素性がみな“百姓”のはずですから、大抵のことはそこそここなせるはずですし、副業があるのは当たり前です(というよりも“副業”という概念自体が不思議なものだと思います)。細分化と先鋭化が近代化に寄与したことは否定できませんが、今求められているのは「軽々と枠を超えるヘンな人」なのですね。近いうちにローカルナレッジにお呼びしようと考えている医師の孫大輔さん(鳥取大学医学部地域医療学講座・准教授)のことを少し調べさせていただいている中で「医療の枠を超えた対話の場づくり×地域の幸せと向き合い続けるヒューマン・ドクター」という記事を見つけ、「ほらね」と思ったりします。優秀な人って枠を簡単に超えるんです。

では枠なるものは全部取っ払ってしまえば良いのか、というとさにあらず。何しろ枠が存在しないとそれを超えることはできませんし、第三者を認識するときに枠(枠の象徴がユニフォームだったりしますが)の存在は必要不可欠です。「あの人は◯◯の専門家だけど、案外器用にいろんなことができる人だよ」という“枠超えブランディング”のためにも枠の存在は欠かせません。しかし今回のような震災が起きた時に、枠を超えてやってきて欲しくないものの代表格が「国」ですね。これは非常にタチが悪い。余計なお世話しかしませんからね。被災者としては相談する相手は地元の行政に絞りたいわけですが、似たような別の救済策が霞ヶ関からもやってくる。被災者には「助けてくれる組織の間を調整する」という意味不明な仕事が発生し、結果としてどちらも遅々として進まない。そもそも「国(行政府)」と「社会」は対立する概念です。極論すれば国は防衛と外交にだけ特化しておれば良く、そのほかのことは全部地域(広域行政区域)に任せてほしい、と思うのです。熊本地震の時の事実上のオペレーションセンターが博多だった、という話を聞いたことがありますが、いざという時は「すぐに駆けつけられる、頻繁に通ってもらえる」存在こそが頼りになります。つまるところ、関係資本の強さは物理的な距離に反比例するのが自然の摂理、ということです。

そしてその地域という“枠”の中で、たくさんの人が“枠を超えた”活動をしている状態こそが最終的には地域社会全体の安全・安心につながるような気がします。この「枠の中で枠を超える活動」の象徴が「オーラルヒストリー」でしょうか。4月23日の「本の場」では、大阪大学大学院人文学研究科現代日本学研究室准教授の安岡健一さんから、オーラルヒストリーの意義と手法、その可能性を伺ったうえで、プロジェクトメンバーの学生のみなさんや大阪大学出版会の担当編集の方にも加わっていただき、本づくりの実際、枠を超えていく現場を詳しくお聴きします。
詳しくはこちらから。

ローカルナレッジ 発行人:竹田茂

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